100億企業化

【100億宣言】衣浦部品工業、下請けからの脱却。売上40億から挑む「自律的成長」への軌跡

2026.06.05

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代表取締役社長 加藤洋一
 

愛知県安城市に拠点を置く衣浦部品工業株式会社。トヨタ自動車の高級車種を彩る内装部品を手がけ、売上高40億円、従業員数約170名を擁する自動車部品メーカーである。長年にわたり特定顧客との強固な関係性を軸に安定した経営を続けてきた同社が今、「売上100億円」という壮大な目標を掲げ、大きな変革に挑んでいる。それは単なる規模の拡大ではない。盤石な経営基盤の上で、自社の未来を自らの手で切り拓くという、力強い意思表明である。逆境を乗り越え、幾度もの飛躍を遂げてきた同社の軌跡と、その挑戦の根底にある経営哲学に迫る。

企業情報
会社名
衣浦部品工業株式会社
設立
1990年
従業員数
190名
事業内容
自動車内装部品の製造及び販売
100億宣言
https://growth-100-oku.smrj.go.jp/companies/pdf/00311-00.pdf
HP
https://kinuura.jp/

 

下請け構造からの出発

同社の歴史は1963年、前身となる木村工業の創業に遡る。1990年に分社化し、衣浦部品工業として独立。以来、自動車部品、特に内装部品の製造を主軸に事業を展開してきた。そのビジネスモデルは、特定のティアワンメーカー2社との取引に依存する、典型的な下請け構造であった。
 
顧客からの継続的な受注がある限り、経営は安定する。そのため、積極的に外部へアピールしたり、新規顧客を開拓したりする必要性は薄かった。「知る人ぞ知る」存在として、サプライチェーンの歯車としての役割を実直に果たしてきたのである。売上規模の拡大よりも、従業員が安心して働ける「良い会社」であることが、優先されるべき価値観であった。この安定志向が、良くも悪くも長年の同社の姿を形作っていた。

過去の工場周辺の航空写真

従業員30名への激減という試練

順調に思えた経営は、1990年代のバブル崩壊によって暗転する。自動車の販売台数が急減し、同社の主力であったウレタン発泡品の需要が激減。受注は瞬く間に減少し、130名以上いた従業員は、2000年を迎える頃にはわずか30名にまで落ち込んでいた。工場の規模も大幅に縮小せざるを得ず、会社存続の危機に瀕する。
 
現在の社長である加藤洋一氏は、当時30歳手前でこの会社に中途入社した。子供との時間を大切にしたいという想いから、土日休みの製造業へ転職。しかし、彼を待っていたのは、会社の未来が見えないほどの厳しい現実だった。「この会社は大丈夫なのだろうか」。そんな不安が頭をよぎる日々が続いた。多くの従業員が会社を去っていく中で、残った30名の社員と共に、暗闇のトンネルをひたすら歩み続けることとなる。

現在の工場外観

復活の狼煙となった「ランドクルーザー」

絶望的な状況の最中、一条の光が差し込む。主要顧客であるイノアックコーポレーションから、トヨタの新型「ランドクルーザー100系」の内装部品生産の打診があったのだ。当時、海外市場、特にレクサスブランドで高級SUVの需要が高まっており、その生産量は膨大だった。
 
「こんな仕事、今の30人で作れるのか?」社内には戸惑いが広がった。しかし、この千載一遇のチャンスを逃すわけにはいかない。同社はこの仕事を引き受けることを決断。顧客の技術部隊から手厚い支援を受けながら、全社一丸となって立ち上げに奔走した。結果、このプロジェクトは成功を収め、従業員は70名規模にまで回復。売上もV字回復を果たし、倒産の危機から脱却する大きな転機となった。自社の技術力だけで掴んだ成功ではない。顧客の要望に愚直に応え、信頼関係を築いてきたことの賜物であった。

高級車種へのシフトと第二の成長

ランドクルーザーでの成功を足がかりに、同社は新たな成長フェーズへと突入する。リーマンショック源や東日本大震災といった荒波を乗り越える中で、同社は徐々にその事業ドメインを「高級車種の内装加飾」へとシフトさせていった。
 
きっかけは、四代目「アルファード」の生産委託だった。これを機に、布やレザーを表皮に巻く「表皮巻き」や「縫製」といった、より付加価値の高い加工技術に注力。かつて工場の主役だったウレタン発泡品のラインは姿を消し、高級車の内装を手がけるための設備と人材が揃えられていった。この戦略転換が功を奏し、新たに北米向けの「RAV4」の大型受注にも成功。従業員数は100名を超え、売上は25億円規模へと成長を遂げた。

「試作開発パートナー」という独自の立ち位置

同社の成長を語る上で欠かせないのが、顧客との独特な関係性である。もともと同社には、顧客が新製品を開発する際の「試作品」を作るためのスペースと人材、そして何より「断らない」という柔軟な姿勢があった。顧客の技術者は、自社拠点から車で15分という立地の良さもあり、衣浦部品工業の工場をまるで自社の開発室のように活用し、試作を繰り返した。
 
通常、試作はあくまで試作であり、量産は別の話である。しかし、同社は試作段階から深く関与することで、製品の特性や製造ノウハウを誰よりも深く理解する。その結果、「そのまま量産もお願いしたい」という流れが自然と生まれていった。アルファードの8部品同時立ち上げや、後に40億円企業へと飛躍するきっかけとなるハリアーの7部品受注も、この「試作開発パートナー」という関係性があったからこそ実現したものである。

40億円企業への飛躍とコロナ禍の決断

2018年、同社は大きな決断を下す。新型「ハリアー」の7部品という、過去にない規模の受注が舞い込んだのだ。当時の生産能力では到底対応できない。社内からは「本当にすべて受けられるのか」という慎重論も出た。しかし、経営陣は「どうせやるなら、苦労してでもすべて受けよう」と、新工場の建設を決定する。
 
2019年8月、新工場が完成。まさにこれから本格稼働という矢先、世界はコロナ禍に突入する。一時はどうなることかと思われたが、幸いにも自動車生産はすぐに回復。ハリアーは国内だけでなく海外でも人気を博し、同社の売上は一気に44億円へと跳ね上がった。従業員も200名規模にまで拡大し、過去最高の業績を記録する。営業部門を設立し、守りの経営から「攻め」の姿勢へと転じたことが、この飛躍に繋がった。

社長就任と「100億宣言」の真意

2024年、長年会社を支えてきた加藤洋一氏が代表取締役社長に就任。時を同じくして、同社は「2030年までに売上100億円」という目標を社内外に宣言した。現在の売上40億円から2.5倍という、極めて野心的な目標である。
 
この宣言の背景には、中小企業庁の補助金制度というきっかけがあった。しかし、加藤社長の想いはそこだけにはない。「社長に就任した当初、具体的な売上目標を掲げるつもりはなかった。まずは品質や技術力を高め、盤石な社内体制を築くことが先決だと考えていた」。しかし、この補助金申請を機に作られた事業計画書が、社員の進むべき道を照らす「共通の目標」となり得ると確信した。明確な数字目標は、社員の士気を高め、会社が目指す方向をわかりやすく示す。「一人よがり」になりがちな経営者の想いを、全社員の「自分ごと」に変える力があると気づいたのである。

未来への投資:一貫生産体制と新規顧客開拓

100億円企業へのロードマップの核となるのが、「前工程への進出」である。これまで同社は、顧客から支給された樹脂成形品に加工を施す「後工程」を担ってきた。これを、樹脂成形そのものから自社で行う「一貫生産体制」へと転換する計画だ。これにより、コスト競争力と品質管理能力を格段に向上させ、顧客に対して新たな付加価値を提供できる。
 
そのための投資額は、新工場建設を含め約15億円。売上40億円の企業にとってはあまりに巨大な投資だ。しかし、加藤社長に迷いはない。「補助金が採択されなくても、この挑戦は実行する」。その覚悟の裏には、着実な手応えがある。社長自らトップセールスに乗り出し、これまで取引のなかったティアワンメーカーや、三菱自動車といった新たな自動車メーカーとの関係構築を進めている。特に、人気車種「アウトランダー」の次期モデルに関する商談は、この巨大投資の成否を占う試金石となるだろう。

すべての原動力は「従業員の幸せ」

なぜ、衣浦部品工業はこれほどまでの挑戦を続けるのか。その根底には、同社が掲げる経営理念がある。「ものづくりを通じて、全従業員の物心両面の幸福を追求すると同時に、地域社会の進歩発展に貢献すること」。加藤社長は、京セラの稲盛和夫氏の経営哲学に深く共感し、この理念こそが会社の存在意義だと語る。

内装部品の加工を行う従業員

売上100億円という目標も、従業員の給与を上げ、働きがいのある環境を提供し、彼らの幸福を実現するための「手段」でしかない。理念が目的となり、戦略や目標がその実現のための手段として明確に紐づいている。だからこそ、社員は会社のビジョンに共感し、困難な挑戦にも一丸となって立ち向かうことができる。幾多の危機を乗り越え、成長を遂げてきた同社の本当の強さは、この揺るぎない経営哲学にあるのかもしれない。衣浦部品工業の挑戦は、まだ始まったばかりだ。

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