100億企業化

【100億宣言】伝統と革新の両輪で未来を拓く、株式会社マツオの次なる挑戦

2026.04.29

▼『100億企業を実現した5人の経営者の成功事例』 無料ダウンロードはこちら

代表取締役社長 松尾 吉洋
 

北海道の食文化を牽引してきた「松尾ジンギスカン」。その伝統を背負う株式会社マツオは、70年の歴史の 中で培ったブランド力と信頼を基盤に、食の領域にとどまらない新たな挑戦へと舵を切っている。ジンギスカン事業で確固たる地位を築いた企業が、なぜ今、靴のアパレル事業という異業種に参入するのか。そこには、外部環境の変化を乗り越え、次の100年企業を目指すための緻密な経営戦略と、創業から受け継がれる「三方よし」の精神があった。伝統の継承と大胆な革新、その両輪で未来を拓く同社の挑戦を追う。

企業情報
会社名
株式会社マツオ
創業
1956年3月1日
従業員数
203名(パート114名)
事業内容
味付ジンギスカンの製造・販売および味付ジンギスカン飲食店の運営・靴小売業(FC)
100億宣言
https://growth-100-oku.smrj.go.jp/companies/pdf/01576-00.pdf
会社HP
https://corp.matsuo1956.jp/

 

固い羊肉を、ごちそうへ。逆転の発想から生まれた「秘伝のタレ」

株式会社マツオの歴史は、1956年、北海道滝川市で始まる。創業者である松尾政治が、様々な商いを経験する中で、一つの課題に行き着いた。それは、当時、羊毛生産の副産物でしかなかった羊肉の活用であった。
 
もともと北海道では、軍需品として羊毛を国内で確保する「めん羊百万頭計画」が推進され、滝川市と札幌市には国内初の種羊場が設置されるなど、羊の飼育が盛んであった。しかし、その主目的はあくまで羊毛であり、毛を刈り終えた後の羊の肉は固い、独特の臭みもあって、とても食べられるものではないと敬遠されていた。
 
この「厄介者」であった羊肉を、なんとか美味しく食べられないか。その想いが、のちの「松尾ジンギスカン」を生む発明に繋がる。創業者・政治は、当時豊富に採れたリンゴと玉ねぎに着目。これらをふんだんに使った醤油ベースのタレに羊肉を漬け込むことで、肉を驚くほど柔らかくし、臭みを風味へと昇華させることに成功したのである。この「味付ジンギスカン」というスタイルは、焼いてからタレをつける「後づけ」が主流であった札幌のスタイルとは一線を画し、滝川の地で独自の食文化として根付いていった。

松尾ジンギスカン 本店

ある日、めん羊組合の知人からこの味付け肉をご馳走になった政治は、「世の中にこんなうまいものがあったのか」と衝撃を受ける。その味に商機を見出した彼は、単に感動で終わらせなかった。自らも肉の知識やタレの研究に没頭し、納得のいく味を完成させ、1956年3月、「松尾ジンギスカン」の暖簾を掲げた。当初は精肉店としてのスタートだったが、この決断が、北海道のソウルフードを語る上で欠かせない企業の第一歩となったのである。

交通の要衝から全道へ。花見客の口コミが起こした奇跡

滝川市に精肉店を開業したものの、当初の道のりは決して平坦ではなかった。「ジンギスカンは臭くて固い」という固定観念は根強く、客足は伸び悩んだ。しかし、思わぬところから転機が訪れる。開業から2ヶ月後の5月、北海道の花見シーズンである。
 
創業者の政治は、店舗の前を滝川公園(滝川市)に向かって歩く花見客を見て、七輪の貸し出しと共にジンギスカンの試食販売を試みた。すると、タレの焼ける香ばしい匂いが花見客の食欲を刺激。「俺にも食わせろ」と人が人を呼び、用意した肉があっという間になくなるほどの評判を呼んだのである。この一件をきっかけに、「松尾ジンギスカン」の美味しさが口コミで広がり、事業は爆発的な成長軌道に乗ることになる。
 
「店で食べさせる場所はないのか」という顧客の声に応え、創業者は自宅の一部を改装して食堂スペースを設けた。これがレストラン事業の始まりである。当時の滝川市は、函館本線と根室本線が交わる鉄道の要衝であり、国道12号線と38号線が交差する交通の要でもあった。札幌や富良野、道東へ向かう人々が必ず通過するこの地で、「松尾ジンギスカン」は休憩時の食事場所として絶好の立地にあった。
 
観光バスがひっきりなしに訪れ、「槌の音が聞こえない年はない」と言われるほど増改築を繰り返す日々。やがて、その味に惚れ込んだ親戚たちが次々と独立し、札幌、函館、小樽といった道内主要都市に「松尾」の暖簾を掲げた支店が広がっていった。一時は200〜300店舗にまで膨れ上がったという。創業者が発明した「秘伝のタレ」が、交通の利という追い風を受け、一代で北海道を代表する食文化を築き上げた瞬間であった。

国産羊の激減。第二の創業期を支えたニュージーランドとの出会い

順調に拡大を続けた「松尾ジンギスカン」だったが、創業からほどなくして、事業の根幹を揺るがす第一の危機が訪れる。主原料である国産羊肉の供給が、需要の急増に追いつかなくなったのである。
 
かつて「めん羊百万頭計画」で隆盛を誇った国内の羊生産は、安価な化学繊維の台頭により、その目的であった羊毛の価値が暴落。採算が合わなくなった農家は次々と羊の飼育から撤退し、羊の数は激減の一途を辿った。ようやく見つけた美味しい商売も、原料がなければ成り立たない。「もはやこれまでか」と創業者が覚悟を決めたその時、光明が差す。1959年に日本がニュージーランドからマトンの輸入を開始し、その後羊肉輸入が自由化されたのだ。
 
羊肉に関税がかけられていない日本市場は、新たな供給元にとって魅力的だった。創業者はいち早く現地のパッカー(食肉処理業者)と連携し、ニュージーランドへ飛んだ。そこで目にしたのは、衛生的に管理され、品質も安定した羊肉であった。これを機に、同社は主原料を国産からニュージーランド産へと舵を切る。この決断は、単に危機を乗り越えるだけでなく、より高品質な羊肉の安定供給を可能にし、事業をさらに拡大させる原動力となった。
 
※現在の主原料はオーストラリアもしくはニュージーランド産

このグローバルな視点での原料調達は、同社の第二の創業期とも言える重要な転換点であった。国内の資源だけに依存せず、世界に目を向けて最適なサプライチェーンを構築する。この経営判断がなければ、今日の「松尾ジンギスカン」は存在しなかっただろう。創業期から続く「良いものを、安定的にお客様へ届けたい」という想いが、国境を越えたパートナーシップへと繋がったのである。

本社工場

「まつじん」からの回帰。ブランド価値を再定義したCI戦略

現社長である松尾吉洋氏が事業を継承して以来、最も力を注いできたことの一つが、ブランドの再構築である。かつては親しみを込めて「まつじん」という愛称で呼ばれ、店舗の看板も「松尾ジンギスカン」と「まつじん」が混在していた。しかし、顧客に真に届けたい価値は何かを突き詰めた時、その答えは「松尾ジンギスカン」という正式名称にこそあると結論づけた。
 
きっかけの一つは、あるテレビ番組だった。ある有名俳優が役作りのためにジンギスカンを食べている、という内容で、番組内で何度も「まつじん」という言葉が連呼された。その時、「我々のブランドは“まつじん”ではなく、“松尾ジンギスカン”なのだ」と改めて気付かされたという。略称はあくまで顧客の親しみの表れだが、企業として自ら打ち出すべきは、創業者の名を冠した正式名称であるべきだと考えた。
 
そこから、徹底したブランド統一が始まる。銀座店をはじめ、すべての看板を「松尾ジンギスカン」に掛け替え、パッケージデザインや販促物も一新。さらに、ロゴマークも見直した。古くから使われてきた、常緑樹である松の葉をモチーフにしたロゴをコーポレートロゴとして再定義。その上で、「丸松」のロゴをジンギスカン事業のロゴとしてブラッシュアップし、ブランドとしての世界観を強固にした。

松尾ジンギスカン 製品

この改革には、当然ながら莫大なコストと労力がかかった。しかし、それは単なる名称変更ではない。「我々が育てたいブランドは何か」という問いに対する、経営としての明確な意思表示であった。このブレない軸があったからこそ、その後の多角化戦略においても、コーポレートとしての求心力を維持することが可能になったのである。

「焼く」と「煮る」を両立させる、六代目の鍋が拓く食体験

「松尾ジンギスカン」の価値を語る上で欠かせないのが、独特の形状をした専用鍋である。中央が兜のように盛り上がり、周囲に溝があるこの鍋は、単なる調理器具ではない。同社の食文化を体現し、顧客との絆を深めるための重要なインターフェースなのだ。
 
この鍋の最大の特徴は、味付ジンギスカンならではの「焼く」と「煮る」を同時に楽しめる点にある。中央の山で肉を焼き、そこから染み出た肉汁とタレが周囲の溝に流れ落ちる。その溝で野菜を煮込むことで、肉の旨味を余すところなく味わい尽くすことができる。この調理法は「煮る」という工程がない一般的な焼肉とは異なり、同社が提供する「機能的価値」の根幹をなしている。
 
同社はこの鍋の改良を重ね、現在は六代目に至る。最新の鍋は、鍋の溝を深くすることで、より多くの野菜を煮込めるように設計されている。さらに、従来品よりも焼き面積をあえて小さくすることで、肉汁がすぐに溝に落ち、肉が焦げ付くのを防ぎ、より美味しく食べられるよう工夫した。また、約300gの軽量化も実現し、店舗スタッフの負担軽減にも繋げている。

調理の様子

この鍋は、顧客にとって「楽しい思い出」と結びつく「情緒的価値」も生み出している。北海道出身者が上京し、親からの仕送りで届いたジンギスカンを仲間と囲んだ記憶。運動会や地域のイベントで、当たり前のように食卓の中心にあった光景。鍋を囲むことで自然と会話が生まれ、笑顔の輪が広がる。こうした原体験を持つ顧客が、今度は自らが伝道師となり、友人や家族にその食べ方や魅力を語り継いでいく。この好循環こそが、同社のブランドを70年近くにわたって支え続けているのである。

ジンギスカン事業の次へ。コロナ禍を越えて見据える新たな成長戦略

「松尾ジンギスカン」という強力なブランドを軸に成長を続けてきた同社だが、近年のコロナ禍は、経営戦略を改めて見つめ直す大きな契機となった。レストラン事業は大きな影響を受けた一方、巣ごもり需要によってメーカーとしての物販やECサイトの売上は大きく伸長した。この経験を通じ、レストランとメーカーという「両輪」を持つビジネスモデルの強さを再確認すると同時に、企業としてさらなる成長を遂げるための新たな挑戦の必要性を強く認識した。
 
それは、ジンギスカン事業で培ってきた確固たるブランド力、70年以上にわたる企業活動で築いた信頼、そして北海道という地で培ったマーケティングノウハウといった有形無形の資産を、新たな事業領域で活かしていくという決意であった。
 
「100億円企業」という目標を掲げ、その達成のために、既存事業の深化と並行して、まったく新しい事業の柱を育てる。この決断が、のちの「スケッチャーズ」事業への参入へと繋がっていく。それは守りの戦略ではなく、未来の成長に向けた極めて前向きな投資であった。盤石なジンギスカン事業があるからこそ、大胆に次のステージへ挑戦できる。同社は、変化を恐れず、常に前進を続ける企業文化を体現している。

なぜ「靴」なのか?世界3位のブランド「スケッチャーズ」との邂逅

新たな成長の柱を築くべく、次なる事業を模索する中で、同社が巡り合ったのが、米国のフットウェアブランド「スケッチャーズ」であった。ジンギスカンとは全く異なる、アパレルという異業種。しかし、この一見突飛な選択には、同社が培ってきた強みを活かせる、確かな勝算があった。
 
スケッチャーズは、ナイキ、アディダスに次ぐ世界第3位の巨大ブランドでありながら、当時の日本ではまだ知名度が高くなかった。特に北海道では、その存在を知る人は少なかった。ここに「情報の非対称性」というビジネスチャンスを見出した。世界では既に確立されたブランドが、日本ではまだ黎明期にある。これから確実に成長する曲線が見えている市場に、先行して参入する。
 
もう一つの決め手は、そのビジネスモデルにあった。一般的 な靴屋が、顧客の要望に応じてバックヤードから在庫を出すスタイルはスケッチャーズでも同じだが、今回マツオがオープンしたスケッチャーズのアウトレット業態は 「ビッグボックスアウトレット」と呼ばれる、セルフ販売方式を基本とする。広い店内にサイズ別に商品が陳列され、顧客は自由に試着し、気に入ったものをレジに持ってくる。このビックボックスのモデルは、顧客にとって目的地となりうる品揃えがある規模感でもあり、 また 人材確保が年年難しくなる中でも、持続可能な店舗運営が可能だと判断した。
 
2025年4月、フランチャイズ1号店を札幌市厚別区にオープン。同社は、70年間で築き上げたメディアとの信頼関係を最大限に活用し、新聞やテレビCM、ウェブメディアを駆使した大々的なプロモーションを展開。さらに、元プロ野球監督のアンバサダー就任という追い風も受け、オープン初日にはスケッチャーズジャパンの1日あたりの売上記録を塗り替えるという、衝撃的なデビューを飾った。

創業の精神「三方よし」を、次世代へ. 地域と共に歩む未来

事業の多角化という新たな挑戦の一方で、同社が創業以来、片時も忘れていないのが、地域社会への貢献である。創業者・松尾政治は、「金と女を追うな」という言葉を残した。目先の利益を追うのではなく、顧客に喜んでもらうことを第一に考えれば、利益は自然と後からついてくる。そして、得た利益は、支えてくれた地域に還元しろ、という教えだ。これは、近江商人の経営哲学「三方よし(売り手よし、買い手よし、世間よし)」に他ならない。
 
この精神は、現代にも脈々と受け継がれている。その象徴的な取り組みが、2015年から続ける学校給食へのジンギスカン無償提供である。毎年、地元の子供たち約5,000人にジンギスカンを届け、給食の時間には、羊の歴史や食文化を伝えるDVDを放映する。幼い頃に故郷の味に触れる体験は、やがて郷土愛を育み、未来の顧客を育てることに繋がる。「給食で食べたのが美味しかった」と語る若者が、今、新たな顧客として店を訪れている。

羊肉の加工

また、食育教室の開催や、地元スポーツチームのアカデミー支援など、次世代育成への投資を惜しまない。これらは、短期的な利益には直結しないかもしれない。しかし、ジンギスカンという食文化を未来永劫に繋いでいくためには、不可欠な活動だと考えている。
 
「選ばれる会社でなければ、生き残れない」。人口減少が確約された未来を見据え、同社は働き方改革にも着手。飲食業界の常識を覆すレベルでの労働環境改善を進め、従業員が誇りを持って働ける企業づくりを推進している。事業の多角化も、ブランドの再構築も、すべては「松尾ジンギスカン」の暖簾を未来へ繋ぎ、従業員の雇用を守り、地域社会と共に発展していくため。創業者の想いは、70年近い時を経ても、この会社に深く根付いている。

まとめ

「松尾ジンギスカン」の歩みは、変化への挑戦の歴史そのものであった。固い羊肉を国民的ごちそうに変えた「発明」。国産羊の枯渇を、グローバルな原料調達で乗り越えた「転換」。そして今、ジンギスカン事業で培った強固な基盤を元に、「スケッチャーズ」という新たな成長の扉を開こうとする「革新」。
 
その根底に流れるのは、目先の利益ではなく、顧客、取引先、そして社会全体への貢献を考える「三方よし」の精神である。伝統の味を守り続ける実直さと、大胆に未来を切り拓く進取の気性。この両輪を力強く回し続ける限り、株式会社マツオは、これからも人々を驚かせ、愛される企業であり続けるだろう。

▼『100億企業を実現した5人の経営者の成功事例』 無料ダウンロードはこちら

関連するDL資料

もっと読む→

100億企業化
コンサルティングに
ついてはこちら

お問い合わせ

CONTACT

CONTACT FORM