売上99%減、17年赤字でも曲げなかった「信念」
100億企業への道 成長を加速させるヒント
シャボン玉石けん株式会社は今や「無添加石けんのパイオニア」として、その名は全国に知れ渡っていますが、その歴史は決して平坦なものではありませんでした。
2024年に、無添加石けんの製造・販売へ完全移行してから50年という大きな節目を迎え、そして2025年2月期決算において、同社は創業以来初となる売上100億円を突破しました。
かつて合成洗剤からの撤退により売上が99%減、17年もの長きにわたる赤字に苦しみながらも大きな成長を遂げることができたのには、決してブレることのない強固な「信念」と「ただ商品を売るのではなく、石けんの良さを伝え続ける」という「啓発活動」の継続がありました。
また、昨今ではその技術力を活かし、石けん以外の分野への進出も果たすなど、新たな挑戦を続けています。本稿では、シャボン玉石けん株式会社 代表取締役社長・森田隼人氏への取材をもとに、同社が歩んできた苦難と栄光の軌跡、そして100億企業へと成長した経営の要諦を、余すところなく紐解いていきます。
※無添加:香料・着色料・酸化防止剤・合成界面活性剤等不使用
インタビュー&レポート
Company Profile
「体に悪いとわかったものは売らない」―月商8000万が78万になった日
シャボン玉石けんの歴史を語る上で、避けて通れないのが1974年の「無添加石けんへの完全移行」という、あまりにも大きな決断です。
1910年に「森田範次郎商店」として創業した同社は、戦後の高度経済成長期に合わせ、合成洗剤の製造販売を行っていました。当時は「白さ」こそが正義であり、蛍光増白剤などを含んだ合成洗剤は飛ぶように売れ、経営は非常に順調でした。
しかし、二代目社長・森田光德氏(現社長の父)の時代に、運命の転機が訪れます。
1971年、当時の国鉄(現JR)から一本の電話が入りました。
「機関車を洗うための無添加の粉石けんを作ってほしい」。
話を聞けば、洗浄に使っていた合成洗剤では、機関車の部品に錆が早く出てしまうとのこと。そこで、錆びにくい無添加の石けんを求めての依頼でした。光德氏は、この依頼に応えるべく、自ら工場に泊まり込んで開発に没頭しました。来る日も来る日も試作を繰り返しました。また、その試作品を自宅に持ち帰っては、自分の下着や衣類の洗濯、そして入浴にも使用していました。
そんなある日、光德氏はふと気づきます。長年首回りや背中にでき、何年も治らずに悩まされていた湿疹が、嘘のようにキレイになっていたのです。
「もしや…… 」。疑念を抱いた光德氏は、試しに自社の合成洗剤を再び使ってみました。すると、たちまち湿疹が再発したのです。
「長年の悩みの原因は、自分が売っていた合成洗剤だったのか……」
その事実に愕然とすると同時に、光德氏の胸中には、経営者としての計算を超えた、強い使命感が芽生えました。
「自分と同じように肌荒れに苦しんでいる人がいるかもしれない」
「体に悪いとわかったものを、これ以上売るわけにはいかない」
その信念のもと、光德氏は社内の反対を押し切り、1974年、主力商品であった合成洗剤の製造販売をやめ、無添加石けん一本に切り替えるという、経営の常識では考えられない決断を下しました。
その代償は、想像を絶するほど壮絶なものでした。月商にして8,000万円あった売上は、翌月にはわずか78万円に。実に99%ダウン、100分の1以下への激減です。
当時は今ほど環境や健康に対する意識が高くなく「 汚れがよく落ちて安い」合成洗剤が市場の主流でした。一方、無添加石けんは原料や製造方法にこだわる分、価格が高く、使い勝手も合成洗剤とは異なるため、市場にはなかなか理解されませんでした。
店頭に並んでも選ばれない日々が続き、そこから17年にも及ぶ長い赤字時代が始まりました。
経営の悪化に伴い、社員たちは次々と去っていきました。将来への不安から、100人いた従業員は最終的にわずか5人にまで減少しました。
それでも光德氏は、「良さを知ってもらえれば必ず売れるはずだ」という信念を崩しませんでした。
合成洗剤時代の内部留保があったことで辛うじて倒産は免れたものの、創業以来最も過酷な冬の時代でした。この時期、光德氏の心を支え続けたのは、わずかながらも増え始めていた顧客からの感謝の手紙でした。
「シャボン玉さんの石けんのおかげで、またお風呂に入れるようになりました」など日本中から届く切実な声が、「自分のしていることは間違っていない」「この石けんを必要としている人がいる限り、作り続けなければならない」という確信を与え、苦境に耐える原動力となっていたのです。
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