【100億宣言】井藤漢方製薬|自社ブランドの誇りと売上200億円への挑戦

2026.07.06

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代表取締役社長 井藤竜生氏

井藤漢方製薬は1887年の開業をルーツに持ち、生薬の卸売業から始まり健康食品・医薬品・医薬部外品の製造へと自己変革を遂げた企業である。一時はOEM依存による下請けの葛藤を抱えたが、「自社の名前で価値を届けたい」と自社ブランドを強化。危機を乗り越え再定義した「お客様第一主義」は、現場の従業員にモノづくりの誇りをもたらした。 過去の危機を乗り越えた同社は、現在『売上100億円』の必達、そして次なる野心的な目標『売上200億円』を掲げる。直販(D2C)強化や海外開拓を通じ、社会に「感動」を残す企業へ進化する挑戦の軌跡を紐解く。

企業情報
会社名
井藤漢方製薬株式会社
創業
1966年3月
従業員数
230名:パート従業員を含む(2024年9月1日現在)
事業内容
医薬品・医薬部外品・化粧品及び健康食品等の製造、販売
100億宣言
https://growth-100-oku.smrj.go.jp/companies/pdf/00605-00.pdf
HP
https://www.itohkampo.co.jp/
井藤漢方製薬株式会社 本社ビル

旧態依然とした業界に抗う「人を大切にする」信念

同社の組織としての直接的な原点は、現代表の父が創業した1966年に遡る。当時の生薬業界は、独立や退職を希望する者に対して執拗な圧力がかけられ、取引先への根回しや物流網の遮断など、あからさまな妨害工作が行われることも珍しくなかった。そのような不条理な業界体質を目の当たりにした創業者は、「人を大切にしない企業や組織は、決して長続きしない」という強烈な危機感を抱いたのである。独立を決意した背景には、従業員が安心して働き、正当に評価される健全な会社を自らの手で創り上げたいという強い使命感があった。

創業初期は既存勢力からの圧力に耐えながら、ゼロから販売ルートを開拓しなければならない茨の道であった。しかし、創業者が貫いた「人を大切にする」という信念は、過酷な状況下でも揺らぐことはなかった。従業員を共に企業を成長させるパートナーとして尊重する姿勢は、社内に強固な結束力を生み出した。

この創業の精神は、同社の企業文化の深層に根付き、現在の「お客様第一主義」を支える精神的支柱となっている。時代が移り変わり、事業の規模が大きく変化した現在においても、この信念はあらゆる経営判断の軸として受け継がれているのである。

相場ビジネスを脱却し、付加価値と品質を極める

創業当時の生薬加工の様子

1970年代から80年代にかけて、主力事業であった生薬の卸売は、一種の「相場ビジネス」としての色彩が極めて強いものであった。高価な原料が市況の変動によって激しく価格を上下させるため、安く買い付けて高く売るという博打的な手法が利益の源泉となっていたのである。

経営陣は、この本質的な価値を生み出さない事業構造に限界を感じ、抜本的な事業の転換を決断する。原料を右から左へ流すのではなく、自社工場で生薬を刻み、消費者が使いやすいようにティーバッグに加工するという、製造工程への投資に踏み切ったのである。

当時の生薬業界には「自然の産物である以上、虫が発生したり不純物が混入したりするのは当然である」という、売り手側の論理が常識としてまかり通っていた。しかし同社は、消費者が直接商品を手に取る時代の到来を見越し、業界の常識に真っ向から反発し、異物除去の徹底や自社での加工体制の構築など、品質向上に注力したのである。

この「自らの手で加工し、付加価値を生み出す」という決意と、「消費者視点での品質の追求」が、同社を単なる卸売業者から信頼されるメーカーへと飛躍させるターニングポイントとなった。

品質管理と研究開発の様子

逆風の健康食品市場へ参入、新たなルートの開拓

1980年代後半、同社は主力販売先であった漢方専門店が時代の流れとともに減少し始めるという環境変化の予兆を捉えていた。この危機的状況に対し、同社は今後の事業の主軸をどこに置くべきかという重大な選択を迫られた。

医療機関へ処方薬を卸す「医療用漢方」のルートは、過度な接待などの旧来型営業に依存しており、自社の企業風土には合致しないと判断した。そして、当時は科学的根拠の基準すら曖昧であった「健康食品・サプリメント」の市場への参入という、挑戦的な道を選択したのである。

新たな主戦場として定めたのは、現在でいうドラッグストアの先駆けとなる地域の薬局・薬店であった。しかし、営業の最前線では「名もなき会社の健康食品なんて売れるはずがない」と一蹴される日々が続いた。

健康食品は未知数であり、棚に並べるリスクを取る店舗は皆無に等しかった。それでも同社は諦めることなく、自社の技術を駆使し、日常的に取り入れやすい形状の商品を開発して地道な提案営業を継続した。明確な基準やエビデンスがない手探りの時代においても、真摯に製品づくりに向き合い続けたのである。

この逆風の中での不屈の開拓精神が、後に巨大な市場へと成長するドラッグストアルートにおける同社の確固たる優位性を築き上げた。

OEMのジレンマと、自社ブランド構築への渇望

2000年代初頭に至るまで、同社の事業構造はOEM(相手先ブランドでの受託製造)が売上の大半を占める状態となっていた。異業種からの新規参入が相次ぐ中、高度な加工技術と品質管理体制を持つ同社には、数多くの製造委託のオファーが舞い込んだ。

事業規模の拡大という点では成功を収めていたものの、同社の内部には常に拭い去ることのできないジレンマが渦巻いていた。どれほど製造現場が心血を注いで高品質な製品を開発しても、最終的なパッケージに刻まれるのは他社の名前である。製造現場のパート従業員が「どんなに一生懸命作っても、パッケージが他社の名前だから、家族や友人に自分が作っていると自慢できなくて寂しい」と漏らすなど、現場にはやり場のない葛藤があった。

さらに、販売元の戦略が失敗すれば、優れた商品であっても返品され、過酷な価格競争の波に飲み込まれてしまう現実があった。

「店頭の棚に並んでこそ商品であり、自らの名前で選ばれない限り、メーカーとしての真の未来はない」

この痛切な思いが、同社をOEM依存からの脱却と、自社ブランド(NB)事業の強化へと強く駆り立てたのである。OEM事業で培った膨大な製造ノウハウや市場トレンドの知見を最大限に活用し、自らが主体となって企画・開発を行う製品づくりへと経営資源をシフトさせた。

それは、企業としての「誇り」と「主体性」を取り戻し、自らの足で立つための、痛みを伴う壮絶な戦いの幕開けであった。

社長就任時の危機対応、聖域なき改革と信頼回復

自社ブランド強化へと舵を切りつつあった2008年、現代表である井藤 竜生氏がトップに就任した時期は、同社にとって極めて困難な時期であった。売上は2005年をピークに減少傾向にあり、製造体制の課題に起因して、売上の大きな柱であった主要取引先との信頼関係が著しく悪化していた。

新代表は、自社ブランドの育成という長期的な野心を一時的に封印し、目の前の危機の突破に全力を注ぐ決断を下した。

「まずは、離れかけた信頼を完全に取り戻さなければ、次なる成長などあり得ない」

その信念のもと、利益度外視で主要顧客の立て直しに向けたプロジェクトを最優先課題として設定し、全社一丸となって事態の収拾に奔走した。同時に、不採算部門の見直しや、製造現場のオペレーションの抜本的な改善など、いかなる聖域も設けない厳しい内部改革を断行した。

泥臭い交渉と現場への徹底した介入を繰り返す日々は、決して平坦なものではなかった。しかし、この極限状態における危機対応と、逃げずに問題と対峙した経験が、同社の組織としての強靭さを飛躍的に高める結果となったのである。この時期に築き上げられた現場主義と、顧客の信頼に応え抜く執念が、現在の強固な経営地盤を支える土台となっている。

バイヤーではなく「消費者」を見るお客様第一主義

経営の立て直しが軌道に乗り始めた2011年、東日本大震災を契機として、同社は自らの企業理念のあり方を根底から問い直した。社内に掲げられていた「お客様第一主義」という言葉は、長年のBtoBの商習慣の中で、商品を大量に買い付けてくれる「バイヤー」を指す言葉へとすり替わりつつあった。

代表はこの無意識のすり替えに危機感を覚え、社内に対して「真のお客様とは誰か」を徹底的に説き始めた。

「バイヤーは重要なステークホルダーである。しかし、我々の製品を求め、自らの健康を願う『消費者』こそが、真のお客様である」

このパラダイムシフトは、同社の製品開発や営業の姿勢に劇的な変化をもたらした。バイヤーの機嫌を取り陳列棚を確保しやすい無難な商品を作るのではなく、エンドユーザーが本当に求めている機能を最優先に据えた商品開発へと舵を切ったのである。

流通の枠組みの中では棚の制約から無難な商品が求められがちだが、消費者が真に求める尖った機能を持つ商品であれば、直販など新たな販売ルートの開拓も含めて断固として世に送り出す覚悟を決めた。この真の「お客様第一主義」への覚醒が、同社を単なる製造業者から、社会的意義を持つ健康創造企業へと大きく脱皮させる原動力となった。

「私が作っている」パート従業員の言葉が教えた力

自社ブランドへの転換と消費者目線の追求は、財務的な成果をもたらしただけでなく、社内に極めて重要な化学反応を引き起こした。先述の通り、OEMが全盛であった時代には「自分の仕事を誰にも自慢できない」という現場の寂しさがあった。

しかし、自社ブランド製品が市場で高く評価され、テレビCM等で大々的に発信されるようになると、現場の空気は一変した。自社製品の成功を祝う社内イベントの席上、一人のパート従業員が満面の笑みで代表にこう語りかけた。

「最近テレビでうちの商品が出るようになって本当に嬉しいです。今までは自分の仕事を誰にも言えなかったけれど、今は『これ、私が作っているのよ』と家族に自慢できるんです。もっと自慢します、もっと頑張ります。」

この言葉は、経営陣に計り知れない衝撃と感動を与えた。自社ブランドを確立し世の中に名前を打ち出すことの最大の価値は、共に働く従業員に「誇り」という最高の報酬を与えることだったのだ。

この出来事は、同社が今後いかなる困難に直面しようとも、自らのブランドを磨き続けるという揺るぎない決意を決定づける象徴的なエピソードとなった。

直販と海外市場の深掘り、売上200億円へのロードマップ

現在、自社および関連ブランドの売上比率が全体の7割近くを占めるまでに成長した同社は、次なるマスタープランとして「売上200億円」という野心的な目標を掲げている。

社内からは「今の状況から4倍の数字をつくるなんて到底無理だ」というリアルな絶望感と戸惑いの声も上がった。しかし代表は、単なる延長線上の努力ではなく、新しい市場の開拓によってこの壁を突破する明確なロードマップを描いている。

戦略の中核を担うのが、これまで主力であったドラッグストアルートへの依存からの脱却と、直販(D2C)事業の飛躍的な強化である。圧倒的な網羅性を持つドラッグストア市場は強力な基盤だが、前述の通り、棚の制約上どうしても万人に受け入れられる無難な商品開発に陥りがちである。

自社工場での製品製造ライン

だからこそ、特定の消費者の悩みに直接突き刺さる「尖った商品」を開発し、直販ルートで強固な支持を獲得する仕組みを構築する。直販で熱狂的なファンを生み出した商品は、結果としてドラッグストアでの交渉力や販売力を劇的に引き上げる相乗効果をもたらすのである。さらに、もう一つの成長エンジンとして注力するのが海外市場への本格展開である。

単に日本と同じ手法で輸出するのではなく、対象国の独自の商習慣に深く入り込み、現地に最適化された販売戦略を実行する。国内でのD2C事業の確立と海外市場の深掘りという両輪を回すことで、同社は200億円という新たな到達点に向けて成長のアクセルを踏み込んでいる。

「参った」と言わせる商品で社会に深い感動を残す

井藤漢方製薬株式会社の社名プレート

井藤漢方製薬の歩みは、常に業界の常識を疑い、困難な道を選択し、自らの存在意義を絶えず問い直す歴史であった。相場ビジネスの否定から始まり、未知の健康食品市場への挑戦、OEMからの自立、そして幾多の経営危機を乗り越えての自社ブランドの確立。

これらすべての挑戦の根底には、「仕事を通じてお客様と、喜びと感動を共有する」という同社の変わらぬ目的が存在している。代表が経営の究極の理想として掲げるのは、「会社を残し、人を残し、そして感動を残す」という哲学である。

スポーツにおける劇的な勝利が人々の目に涙を浮かばせるように、同社が提供する製品によって、消費者に「参った」と言わせるほどの感動を届けたい。それは決して容易な道のりではない。

しかし、従業員が誇りを持って最高のものづくりに挑み、その熱量が製品を通じて消費者に伝播したとき、そこには単なる商取引を超えた「深い感動」が必ず生まれると同社は信じている。売上200億円という新たな目標は、その感動の輪を世界中へ広げていくための一つの通過点に過ぎない。

井藤漢方製薬はこれからも、次世代の健康のスタンダードを創り出し、社会に永遠に残る感動を提供し続ける企業として果敢なる挑戦を続けていく。

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